フジ ロイ ミキ
現在、北海道の札幌にある月寒体育館では、カーリング女子世界選手権が繰り広げられています。日本代表も、スウェーデン、スコットランドなどソチ五輪のメダリストチームに勝利するなど、善戦を見せてくれています。そんな日本代表が試合中にタイムアウトをした時にアドバイスをおくっている穏やか人物がいます。フジ ロイ ミキコーチです。今回はあまり情報がないのですが、できる範囲でフジ ロイ ミキコーチを調べています。
人物名鑑
- 日系カナダ人
- 1941年9月20日
- ソチ五輪では、強豪チームの誘いを断り、日本代表(北海道銀行フォルティウス)のコーチを引き受けた。この時、小笠原はカナダに渡り、コーチを依頼している。フジ ロイ ミキコーチは「最後の船出を君と歩みたい」と語り、小笠原の申し出を引き受けたという
- カナダの遠征時などは、自宅に選手を泊めるなど、面倒見も良い
- チーム青森時代から小笠原・船山とは師弟関係にあった
- ”私のおじいちゃんでもあり(笑)、コーチという存在でもあり、本当に2つの気持ちがあります。おじいちゃんとして甘える自分もいて、本当にコーチとして尊敬していて、もうこの人の言うことなら「はい」と言うしかないという気持ちです。”
- ”そうですね。カーリングのことに関しては、勝つためのカーリングをやっているので本当に厳しいんですけど、氷を離れた部分ではすごく優しく本当におじいちゃんのような存在です。
いろいろな統計学を出し、数字でも感覚的にも、あと精神的にもさまざまな方向からのトレーニングを考えて、取り組ませてくれます。”
(LS北見に所属している吉田知那美の言葉)
※フジ ロイ ミキは、吉田が語学留学した時・ホームステイ先として自宅を提供した。その時に、カーリングから離れていた吉田に対し、再び選手に復帰するきっかけを与えている。引用:スポーツナビ
1999年にはトリノ五輪の日本代表コーチとして指導しています。現在は70歳を超えており、その悠然とした姿や、独特の優しい語り口でアドバイスを伝え、選手に安心感を与えるコーチです。
「カーリングの伝道師」などとマスコミには呼ばれていたこともあります。自称「カーリングばか」。
この当時にはガス関連のセールスをして働き、カーリングのシーズンの時期に長期休養を取って、指導するスタイルを取っていました。
祖先のルーツは和歌山県です。トリノ五輪代表には「もっとカーリングで遊んでほしい」「選手はもっと大人になる必要がある」と若いチームにアドバイスをしていました。カナダや欧米ではカーリングが日常の娯楽、遊びとして根付いているためです。
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