竹内映二はテニスの国別対抗戦・デビス杯では、長きにわたりヘッドコーチを務めた人物です。
竹内氏は当時、高齢化していた日本代表の若返りに尽力し、錦織の登場もあって、27年ぶりに日本代表をワールドグループ進出に導きました。このページでは、テレ東の解説者でもある竹内映二について調べています。
コーチ
竹内映二
京都府出身
1959年5月13日生まれ
米シュライナー・ジュニア大出身
10歳からテニスを始める。
1977年に全国高校総体優勝。
アメリカの大学に留学後、プロに転向して、世界を転戦する。いわば、日本人で海外ツアーを回り始めた草分け的存在である。
ダブルスの世界ランキングでは120位を記録した。
全日本ランキングの最高位は4位。
1986年、1987年に全日本複優勝。
1991年より、日本代表のナショナルコーチとなる。
アトランタ、シドニー五輪コーチ。
8年間、デビス杯の日本代表ヘッドコーチを務めた。
2001年に兵庫に竹内庭球研究所を設立し、選手指導を行っている。
伊達公子、谷沢英彦などの指導経験がある。
デビス杯
2005年当時の日本チームは、若手が添田豪しかいない状態だった。そのため、まだ世界ランキング400位台だった添田はすぐに代表に選ばれた。
その後、若返りをはかり、伊藤竜馬、錦織圭、杉田祐一らが代表入りした。
2012年には、27年ぶりに日本代表をワールドグループ入りに導いている。そして、この年に竹内は監督を辞めたのだった。その理由に関して、「同じ監督があまり長くやるのはよくない。次の監督にバトンタッチしようと思います」と語っている。
添田は「監督と一緒に悔しい思いを何度もしてきた。思い出がたくさんある」と語っている。
いわば、日本代表を世界レベルに押し上げる、下地を作った指導者と言えるかもしれません。