伊藤美誠が伝説の選手と比較される理由とは!?
カタール・オープン2020では、準決勝で丁寧を破って準優勝という好成績をおさめた伊藤美誠。丁寧戦での第3ゲーム、11-0は鮮烈な印象を残しました。
陳夢に決勝で敗れた伊藤ですが、存在感を世界にアピールしました。今回はITTFで紹介されている伊藤の記事の内容を紹介します。
世界ランク3位の伊藤美誠は、中国の覇権に対して最も脅威を与える選手である
Why Mima Ito brings back memories of Chinese legend(ittf)
伊藤が中国のレジェンドを思い出させる理由
伊藤のスタイルは国際レベルでより効果的だと証明されています。彼女のラケットの組み合わせは、珍しいです。通常と違うということが伊藤の成功の主な要因なのでしょうか?
フォアハンドに裏ソフトラバー、バックハンドには表ソフトラバーを使うスタイルは、完全に伊藤とマッチしています。
伊藤はテーブルの近くにとどまり、怒涛の攻撃を繰り広げます。
いったん彼女のペースになれば、伊藤を打ち負かすことはできません。
カタールの準決勝で敗北した丁寧は、試合全体で23点しかとれず、第3ゲームは0点でした。
伊藤の試合を見ていると、中国の生ける伝説の選手・鄧亜萍(とう あひょう)を彷彿させます。スタイルが似ており、テーブルの近くから非常に早く攻撃して相手から勝利します。
バックハンドのラバーは若干違いますが、伊藤と似ているスタイルです。
鄧亜萍との大きな違いは、伊藤の方がサーブ、リターンの範囲が広いことです。鄧亜萍の時代、バナナ(チキータ)はフルーツでした…つまり、ボールを返すテクニックではなかったわけですね。
しかしながら、鄧亜萍が国際舞台から姿を消して以来、そのスタイルは凋落していました。最近引退した福原愛、15歳の木原美悠を除き、海外ではあまり使われていません。
今言われているのは、よりボールが大きくなるなどして、ボールの移動が以前より遅くなり、テーブルの近くで攻撃することは効果的ではないと言うものです。
2018年に伊藤がスウェーデンで打ち負かした劉詩文、丁寧、朱雨玲という有名な3人はこの理論に同意しないかもしれませんが!
プレースタイルが似ている伊藤美誠と鄧亜萍
比較できるのはそれだけではありません。
伊藤は150㎝、鄧亜萍は149㎝です。
伊藤は14歳の時、2015年のドイツでシングルスの初タイトルを獲得しています。鄧亜萍は同じ年齢の時、1988年に国際大会に初めて挑みましたが、マニラのアジアカップで優勝しました。
鄧亜萍は16歳だった1989年、世界選手権の女子ダブルスで優勝しました。伊藤は15歳だった2016年、リオ五輪・チーム女子団体戦で銅メダル獲得に貢献しました。
10代での成功はとても似ていますが、伊藤は2000年生まれ。1973年生まれで(キャリアを終えた)鄧亜萍に比べると、大きなタイトル獲得という点では及んでいません。
1991年、世界選手権のタイトルを取った時、鄧亜萍は18歳でした1992年、バルセロナ五輪での鄧亜萍が勝利した時、彼女は19歳181日でした。
東京五輪2020の7月25日時点で、伊藤は19歳279日となります。
鄧亜萍は1997年に世界選手権で金メダルを獲得すると、24歳で引退してしまいました。
この引退に関しては、伊藤美誠は同じにならないことをのぞみます。
気になる英単語
hegemony/覇権
groove/溝
※鄧亜萍(とう あひょう):五輪で4つの金メダル、世界選手権で18度優勝。中国のレジェンド。