ラファエル・ナダル・エピソード
ラファエルナダルが、どうやって超一流のテニスプレイヤーになったかは、ラファエル・ナダル伝で詳しく書きました。ここでは、そんなナダルの違った一面やエピソードなどをいくつか紹介していきたいと思います。このページも参考文献は、『ラファエル・ナダル・自伝』とさせていただきました。
ラファエル・ナダルのキーワード
故郷を愛するナダル
※恋人、妹、母親
ナダルはずっと実家で暮らしています。それは、プロになっても変わりません。なぜなら、そこには面倒見の良い母親、賢くて穏やかな父親、親友のような妹といった家族がいるからです(父親と母親は、後に離婚していますが、一緒に試合を観戦しにくるなど関係は良好です)。それに、ナダル一族は団結力が極めて高く、ゴットファザー(祖父)やゴットマザー(祖母)、叔父などもいたからです。
ですから、ナダルは試合が終わればすぐにでも、実家に帰りたがります。時に、格安航空便を利用してでも帰ったことがあります。その時は大会で優勝し、トロフィーも持っていました。ナダルは荷造りがとても苦手で母親にやってもらうぐらいなので、その日はトロフィーが入ったかばんを席の上の収納箱に入れるのにも一苦労。やっといれたと思ったら、客席から拍手が起きる始末でした。さすがに、この時はナダルは選択を失敗したかもと思ったそうですが、それぐらい故郷を愛していたのです。
ナダルが住むマヨルカ島のマナコル
ナダルが住むマヨルカ島はスペインの小さな島であり、リゾート地です。日本人からすると、ハワイのような存在で、イギリス、ドイツから多くの人が訪れます。そんな島の第3の町・マナコルがナダルの故郷です。
この島の人たちは、有名人にあまり興味がなく、大げさに言えば、ナダルが散歩できる世界で唯一の場所です。例えば、ナダルが初めてウィンブルドンで初優勝した次の日、故郷の公設コートで朝からいつも通り練習していた時のことです。その隣には老夫婦が練習していましたが、ナダルに気を留めなかったと言います。日本ならば当然、人だかりができる状況ですが、この老夫婦は山なりのボールを打ち合って、優雅に朝のテニスを楽しんだのです。そんな、自分を特別視せず、素の場所でいられる故郷が、ナダルにはとても居心地が良いのです。
兄として慕う先輩カルロス・モヤ
※写真はモヤとナダルの叔父トニー
ナダルが最も恵まれていた点の一つとして、12歳の時にはカルロス・モヤと知り合うことができたことです。テニスファンならご存知でしょうが、モヤはかつてのスペインのトッププレイヤーであり、全仏OPで優勝した経験もあります。このような偉大な選手と、ナダルは若くして一緒に練習することができたのです。
最初に出会ったとき、モヤとナダルは握手しました。しかし、ナダルはシャイで、目も合わせられず、一言も口をきけなかったと言います。一方で、試合になると闘志あふれる姿を見せる…そのかけ離れた姿が衝撃的だったと言います。ナダルが運が良かったのは、このモヤという選手が非常に器が大きく、自分の背中を追ってくる14歳の少年・ナダルと誠実に付き合い、練習をしてくれたことです。
モヤはこの年代では才能を感じさせる選手がたくさんいても、その後は隠れた性格の弱さや環境のせいでで跡形もなく消えていくことがほとんどだと語ります。そんな中でも、ナダルは向上心が旺盛で、1球1球に命をかけて打っているかのように感じたと感心したそうです。そんなモヤは全仏王者になっても変わらずにナダルを認め、この後はナダルに追い抜かれていきます。しかし、ナダルはそんなモヤを信頼し、兄のように慕って、色々な事を相談するようになりました。2017年にはコーチに就任、ナダルは絶好調で全仏、全米を制する助けとなっています。
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臆病なナダル!?
※コアラを抱えるナダル、顔が少し…
試合中のナダルは時に叫び、勇ましくガッツポーズし、闘志あふれる素晴らしいプレイヤーです。彼は幼少のころから謙虚であることの重要性を説かれ、どんな相手でも、自分より格上と思って戦うようにしています。そのため、トッププレイヤーになり、グランドスラムで王者になっても、その姿勢は変わりません。
そんなナダルですが、あるものごとには神経質な面を持っています。また、臆病と言われるような面も持っているのは、意外な一面ですね。例えば、ナダルは眠るときに電気とテレビをつけていないと眠ることができません。また、雷も苦手ですし、動物が大の苦手です。ナダルを招待した友人は家で犬を飼っていたら、ベットの下に隠しておかなくてはいけません。ナダルは、動物が何を考えているのかわからないという理由で、恐れているのです。そして、大切な家族…妹が病院で検査をする場合、何度もメールを送って状態を知ろうとつとめます。このように神経質で繊細な面があるのです。
恋人のマリア・フランシスカ
よく有名人にあやかって、本を出したり、メディアに出る家族や恋人は多くいます。しかし、ナダルの周りの女性はそれを嫌います。母親もそうですし、妹もそうです。妹は大学に在学中、ほとんどの人が彼女の兄をナダルと知らないほどでした。
恋人のフランシスカも同様で、めったに試合にも姿を現しませんでした。そのため、メディアには「ミステリアス」「控え目」「おとなしい」などと紹介されていました(近年は試合観戦に訪れるようになっています)。実際のフランシスカは経営学の学位を持ち、普段は保険会社で働いています。そして、ナダルを尊重して、自分の生活も大切にする女性です。ですから、ナダルのツアーに同行せずに、戦っているナダルの生活と、自分とをしっかりと分けているのです。そのため、彼女はナダルのことを、メディアにも話しませんし、私生活でも話しませんでした。それが互いにとって、心地よい関係を築く方法だからです。
深刻な怪我、懸命なナダル
ナダルといえば、どんな時でも100%でプレーするスタイルであり、長くプレーはできないだろうと言われることがあります。一方で、その全力を尽くすスタイルこそ、人々を魅了して熱狂させる理由です。実際、ナダルはこの1試合が最後になるかもしれないから、悔いがないようにと思ってプレーしているようです。
その理由は、深刻な怪我がありました。19歳で全仏を制したナダルは、2005年のその年に、11のトーナメントを制覇します。ランキングは2位に上昇。しかし、その翌年になると、舟状骨という足にある骨が痛み出したのです。それはとても珍しい部分でしたが、深刻なものでした。その痛みは激しく、足に体重をかけられないほどで、すべての試合に休まざるをえませんでした。医師は二度と試合ができないかもしれないと診断したため、ナダルは泣き崩れたと言います。当然、家族も同様でした。
ただ、陽気で賢い父親だけは、ナダルを励ましました。「最悪の場合、あらたに情熱を燃やしつつあるプロゴルファーに転向すれば良い。お前のガッツならば、なんとかなる」。
ナダルはこの提案を現実離れしたものと感じましたが、とにかくやれることをやることにしました。解決法が見つかるまで、ナダルは別人のように暗くなりました。そんなナダルを、厳しい叔父のトニーは、コートに連れ出しました。松葉づえをついているナダルは冗談かと思ったそうですが、椅子に座ってボールを打ち始めたのです。こうしてナダルは解決法を見出すまで、すごしました。そして、靴にインソールをいれて、痛みを緩和する方法を見つけたのです。この方法はうまくいき、一方で、いつでも痛みが再発し、プレーができなくなる可能性を秘めています。ですから、ナダルは今も、一試合一試合、全力を出し切るのです。
「どの試合でも、どの練習でも、それが最後だと思ってプレーしなくてはならない」。その思いが、今のナダルのスタイルを生んでいるのです。
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