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小野寺佳歩 強い意志を心に秘めて…(女子カーリング)

カーリング

小野寺佳歩(女子カーリング)

中学生時代

北海道北見市(旧常呂郡常呂町)出身の小野寺佳歩がカーリングを始めたのは中学校1年生の時です。常呂中学で同級生だった吉田知那美に誘われたのがきっかけでした。それまで、小学校の時に授業で1年に1度やるかやらないカーリングでしたが、やってみるとショットが決まり、楽しさを覚えたのです。所属した『常呂中学校ROBINS』では、セカンドをつとめていました。このチームには鈴木夕湖(LS北見)も所属していました。

2006年の日本カーリング選手権では、トリノオリンピック代表だった『チーム青森』に予選リーグで勝ち星をあげ、中学生旋風を巻き起こしました。この時の相手チームには、後に北海道銀行でチームメイトになる、小笠原歩、船山弓枝らが所属していました。この年、大会は3位という素晴らしい成績でした。

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選手名鑑

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高校時代

素晴らしい成績をおさめたチームですが、それぞれが進学し、中学時代のように常呂で一緒に練習する時間がとれなくなります。小野寺佳歩は常呂高校に進学しました。

常呂高校ではライバルチームだった後に札幌国際大学に進む吉村 紗也香のチーム『WINS』に誘われて参加しています。しかし、ジュニアの全道大会では雰囲気に飲まれ、ショットも決まりませんでした。

”「長く一緒にやっていなかったから、スタイルとか違うなと感じるところがありました。やっぱり長く一緒にやって信頼できる4人、5人でなければだめです。ちょっとだけ入ってみても、私のように失敗します」
「やっぱりチームで練習することは大事だし、カーリングはチームワークが大切なんだ」”と高校時代の苦い経験を語っています。

出典:小野寺佳歩 「二足の わらじへの挑戦」 « 北海道銀行フォルティウス 

陸上選手との2足のわらじ

走ることが好きだった小野寺佳歩が陸上に取り組み始めたのは、小学校4年生の時です。高校2年の時には100メートルハードルで、3年の時には七種競技で高校総体に出場。閉会式には旗手をつとめるほどになっていました。そして、陸上の名門・中京大学に進学するのを機に、カーリングからいったん離れ、陸上1本で行くことを決意します。その理由として、高校の3年間で結果を出せずに、自分の限界を感じたからだと語っています。中学生で大きな成果を残し、高校でうまくいかずに、挫折を味わったのかもしれません。この時、チームメイトの吉田とは、「また、いつかカーリングをやりたいね」という話をして別れています。

小野寺は北海道から愛知に移り、陸上に打ち込みます。その時、小笠原、吉田らからカーリングの誘いが舞い込みますが、一度は断っています。しかし、実家に帰省した時に、小笠原、船山、吉田が訪ねてきて、再び誘いを受けました。小野寺はすぐに決心がつかず、父親にも相談しています。父親からは「こんなチャンスは絶対ないから、できるんだったらやってみたほうがいい。オリンピック選手だった人たちに誘ってもらえるなんて、こんなぜいたくなことはないんだから」と言われ後押しされました。また、小笠原が4年間だけではなく、8年後という長いスパンで考えている点もひかれる理由でした。こうして、小野寺は再びカーリングをやることを決断し、2011年に北海道銀行フォルティウスに参加します。しかも、夏は陸上を、冬はカーリング選手としての2重の選手活動を続けながらです。

ソチ五輪を目指して…

陸上とカーリングの2足のわらじをはいての生活は、愛知と北海道を行き来する生活でもありました。夏までは陸上と勉強に専念し、冬はカーリング選手として活動します。また、夏場でもカーリングの合宿に参加することもあり、時に愛知と北海道を行ったり来たりすることもあり、疲れて寝坊し、飛行機を乗り過ごすこともありました。しかし、周囲は彼女の気持ちを尊重し、理解があったために二重生活を続けることができました。

2013年の2月には日本選手権の決勝で、小野寺はミスをして、チームも中部電力に敗戦します。物静かで、公の場では感情を現さない小野寺は、しかし、内心はとても落ち込んでいました。決勝の独特の雰囲気にのまれ、不完全燃焼で終わってしまったからです。それでも、この年の9月のソチ五輪、日本代表決定戦では、決勝の中部電力との試合で好ショットを連発。チームの勝利に貢献します。この時も、周囲が喜びと興奮に沸く中、小野寺は穏やかに微笑んでいました。そして、この年の12月には、ノルウェーとのオリンピック出場決定戦に逆転勝ちをおさめ、ついに夢の舞台への切符を手にします。ソチ五輪では、インフルエンザにかかり、前半戦を欠場。途中で復帰し、5位という成績に貢献しました。

 再び五輪を目指す…

ソチ五輪を終え、小野寺佳歩は中京大学を卒業後、北海道銀行に入行しました。チームからは、吉田、苫米地が去り、吉村、近江谷が加わっての新体制となります。チームは、パシフィックアジア選手権、日本カーリング選手権を経て、世界女子カーリング選手権2015に参戦しました。

世界と対等に戦えるチーム、オリンピックの出場を目指す新体制のチームにあって、小野寺はセカンドとして選手権でも存在感を見せる活躍をしています。と同時に、世界との差を見せつけられる大会にもなりました。世界との差は縮まっている、しかし、まだ超えなくてはいけない壁がある…そんな大会でした。

小野寺佳歩は「課題が明確に見つかったので、しっかり来年度に向けてやっていきたい」と語っています。まだ、若い小野寺佳歩ですが、いづれ、チームを引っ張っていく存在になりそうです。

それでは最後は、小笠原歩が小野寺佳歩について語った言葉で、この記事をしめたいと思います。

”「小野寺さんはフィジカル、パーソナリティーと申し分のない選手です。私がチームのメンバーを考えたとき、最初に名前が挙がった人です。セカンドのポジションになると思いますが、彼女は日本のベストセカンドといってよい選手。陸上競技との両立は大変だと思いますが、彼女の意思の強さ、努力の姿勢、カーリングへの想いを考えると、必ず、期待に応えてくれると思います」”

出典:小野寺佳歩 「二足の わらじへの挑戦」 « 北海道銀行フォルティウス | 

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