フェデラーの多くの試合、観客席で真剣な眼差しを送る女性がいます。彼女はミルカこと、ミロスラヴァ・ヴァヴリネック…ロジャー・フェデラーのマネージャーであり、妻でもあります。
彼女はプロテニス選手となるも、踵の怪我を抱え、引退を余儀なくされました。その後は、フェデラーと二人三脚で、王者への道をサポートしてきました。このページでは二人のなれそめや、フェデラーの彼女への思いなどを掲載しています。
ロジャー・フェデラーの妻 ミロスラヴァ・ヴァヴリネック
Carine06
国籍はスイス(出身はスロバキア)
174㎝/59kg
右利き・両手打ち
最高ランクは76位
愛称はミルカ
槍投げ選手の父親を持つ。
2歳で家族とスイスに亡命した。
スイスに帰化後は、両親は宝石店を営みながら、ミルカを育てた。
9歳の時にマルチナ・ナブラチロワに出会い、父が懇願してドイツでのテニスレッスンを手配してもらい、ミルカの競技人生が始まった。
バレリーナを夢見るミルカは、最初はテニスに乗り気ではなかったが、ナブラチロワは彼女の才能を見抜き、イリ・グラナトからレッスンを受けるように勧めた。
ミルカは15歳でスイスのジュニア大会で優勝をはたす。
その後、順調にキャリアを重ねるも、1996年には踵の怪我を負い、競技生活で悩まされることになる。
1998年にプロに転向した。
2000年にはシドニー五輪に、スイス代表として出場をはたす。
2001年には全米OPで、グランドスラム初の3回戦進出をはたす。しかし、この後は踵の怪我が悪化するなど、成績も急降下してしまう。
この時、恋人であったロジャー・フェデラーに、ツアー帯同広報/マネージャーを打診され、承諾する形で現役を引退した。
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※子供たち(双子の姉妹の後に、双子の兄弟が生まれた)
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ロジャー・フェデラーとのなれそめ~結婚
2000年のシドニー五輪で、共にスイス代表として、選手村に滞在していたのがきっかけで出会った。フェデラーは一目ぼれしたと言われており、「ミルカを選ぶか、テニスを取るかを選べと言われたら、僕はシドニーを去ることを選ぶよ(シドニーから去って、ミルカを選ぶ)」というほどの熱の入れようだった。大会後に、二人の交際はスタートした。
2001年にはホップマンカップでスイス代表として二人で出場するなど、良好な関係が続いた。
しかし、2002年になると、ミルカの踵の怪我が悪化し、松葉杖がなければ歩けないほど症状が悪化した。プロキャリアを閉ざされたと感じたミルカは、失意の中、家に8か月間閉じこもり、無気力な状態に陥り、精神的な病に陥った。
この状況に対して、フェデラーはツアー帯同広報/マネージャーという新しいキャリアを提示したのである。
”「このオファーはロジャーが私に与えてくれた最大限のサポートだった。彼は私に再びテニスに関わる人生を与えてくれた。」”
出典:Wikipedia
と語るように、新たな道を見つけたミルカが、公私両面でフェデラーを支えるようになる。
試合前のアップを担当する練習相手になったり、応援にも頻繁にかけつけた。また、カウンセラー、マネジャーの業務もこなすなど、フェデラーをサポートしたのである。
2009年には妊娠し、交際9年目での結婚を発表。
双子の女児を出産して、ミラ・ローズ、シャーリーン・リヴと名前を授けたのである。
この時、フェデラーは、
「僕たちの人生の中で最高の日だ。ミルカ、ミラ、シャーリーンはみんな健康で元気だ」と喜びを語っている。
※この後、双子の男子にも恵まれた。
また、ミルカに関しては、後にこう語って、感謝を述べている。
「ミルカは常に自分の助けになってくれた。一緒にいて、素晴らしい人間なんだ。彼女と出会った時には、まだ一つもタイトルを獲得なんてしていなかった。今では76個。彼女と出会って何が起こったか、分かるだろう?」
「父親としての役割は大好きだよ。数年後には、自分の時間をすべて娘にそそぐことができるだろうね。ミルカはどこへでもついてきてくれる。彼女の役割はとても大切なものだよ。彼女は僕のプレーを見るのが好きなんだよ。もし、彼女が一緒にいたいと思わなくなったら、僕は引退するよ」
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