両親が語る錦織圭
このページでは、錦織圭の少年時代にスポットを当てて色々と書いていきたいと思います。名前の由来、性格、習い事、両親が語る子育ての考え、松岡修造の修造チャレンジの涙のエピソードなども取り上げています。
錦織選手のターニングポイント
といえば、2008年になります。
この年、アメリカ・デビルレイビーチのツアーで優勝。また、USオープンではベスト16に入っています。
この頃からマスコミは騒ぎたて、『テニスの王子様』などというニックネームも登場しています(しかし、幸いなことに、このニックネームは定着しませんでした)。
※マイケルチャン・コーチの娘との一コマ
「圭」の由来
「圭」という名前は、外国人も発音しやすい、外国でも受け入れやすい名前にしたいという思いで付けられています。狭い価値観ではなく、大きな世界へ羽ばたいてほしいという考えからでした(そして、その両親の思いは、その通りになったのです)
おしゃべり
錦織選手は赤ん坊の時、体が弱い子供でした。喘息、アトピー性皮膚炎がありました。また、両親を心配させたのは、2歳まで言葉を全くしゃべらなかったことです。しかし、2歳の誕生日と同時にたまったものを吐き出すように話し始め、幼稚園の頃は家族一番のおしゃべりでした。一人でも何かしゃべっているほどでした。
この、おしゃべりは、中学生くらいになるとすっかりおさまりました。
様々な習い事
錦織選手が最初に始めたスポーツは水泳です。生後1年でスイミングスクールに通い始めました。その後、3歳でピアノ、4歳でサッカー、5歳でテニスを始めました。
ちなみに、母親はピアノの講師をやっていました。
錦織選手の両親は大学時代にテニスサークルに入っていました。父親は個人競技よりも団体競技が良いとサッカー・野球をさせたい気持ちがあったようです。しかし、テニスも含め、色々なチャンスを与えたいと思っていました。
それは、「子供の一年は、大人の10年の価値がある」と思っていたからです。
出典:http://isao-japan.blog
テニスに目覚める
錦織選手がテニスを始めたのは4歳の時ですが、徐々に比重が大きくなり、小学生になると週4回はテニススクールに通っていました。
特に父親の清志さんはそのころから、一生懸命、錦織選手の才能を伸ばすことを考えていました。
その頃の日本のテニス界の状況は、小学校、中学校、高校の年代でタイトルを獲得してプロになるのが一般的です。
しかし、それでは世界の舞台で戦うには間に合わないと、清志さんは考えました。そして、2週間ほど、アメリカ留学をさせて経験を積ませたりしていました。
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修造チャレンジ
今では有名な関係ですが、松岡修造氏に出会ったのは、小学校6年生の時でした。ジュニア大会に出ていて、松岡修造氏の目に留まり、「錦織くん、今日の試合よかったよ」と声をかけてもらったのが始まりです。その後、『修造チャレンジ』の招待状が届いたのです。
出典:http://sumiren.com
修造チャレンジではBチームに入り、修造氏や名コーチ、ボブ・ブレット氏に熱心な指導を3日間、受けます。そして、『積極的なテニスをする』という目標を達成した錦織選手は、さらに3日間のキャンプの延長を勝ちとります。この3日間はAチーム…つまり、高校生などと一緒の練習を受けられるのでした。
涙と共に…
この時の様子はテレビでも放送されました。
修造氏は泣いたり叫んだりしながら、子供たちに向かい合っています。錦織選手はそんな修造氏に汗と涙でこたえようとしました。ただ、子供心に修造氏の指導は、時におおげさな振る舞いもあることを理解していたと清志さんは語っています。その上で、微妙な駆け引きなども学び、素直な感覚と感情の波を合わせながら練習していたのではないかと語っています。
松岡氏の指導
この修三チャレンジで、松岡氏はほとんど錦織選手を叱りませんでした。その理由として、「自分と圭とはまったく正反対で、遊びとしてテニスをとらえることで生まれる想像力が圭の良さだから、それを崩してはいけないと思った。才能を伸ばすためにも、圭には絶対に怒っちゃいけないと思った」と語っています。
このことに対し、父親の清志さんは、錦織選手を厳しく叱ると萎縮して怯えてしまう性格だったと語っています。それを修造氏は短期間で見抜き、適切な指導をしたということに感謝の言葉を述べています。
道が開ける
錦織選手は小学校6年生の時に、全国大会で優勝しました。
この大会では参加賞として「はずむくん」というタオルがもらえます。錦織選手にとっても、この大会は心に残るものだったようです。後にアメリカに渡っても「はずむくん」のタオルを大切に使っていました。
この大会は清志さんにとっても特別で、優勝したことで錦織選手の道が開けると安堵したそうです。
自分の一つの役割を終えたと感じたのでしょう。
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