増田健太郎 日本・デビスカップ代表コーチ 選手時代はスペインで練習 NHK解説者
スポンサーリンク
今週の格言
今週の格言
才能とは、自分自身を、自分の力を信じることである。byゴーリキー

増田健太郎 日本・デビスカップ代表コーチ 選手時代はスペインで練習 NHK解説者

NHK解説やデビスカップ代表コーチをつとめた増田健太郎がどういった選手だったか、このページではまとめています。当時では珍しかったスペインを練習拠点にするなど、貴重な経験を持つ指導者のようです。

現在は分かりやすい解説などでも活躍しています。

スポンサーリンク

コーチ、解説者

増田健太郎

神奈川県在住 

167㎝/64kg 

1971年8月26日生まれ 

日本国内ランキング3位(最高) 

世界ランキング:349位(最高)

デビスカップ代表コーチ

父親の指導で3歳でテニスを始める。 

小学生の時からプライベートレッスン、スクール通いを行っていた。また、家の近くにプレハブを建て、オートマシンを買い、雨でも練習できる環境だった。 

ニック・ボラテリーが来日時に留学の話を持ちかけられ、両親が退職金の一部を前借りする形で、ニック・ボラテリー・テニスアカデミー(IMGアカデミー)に留学。基本技術、戦術を学んだ。 

小学校時代は「友達が誘いに来たら遊びに行きたかったが、1割の責任感でテニスを優先していた」という。

その後、湘南工科大学付属高校でインターハイ、全日本など国内ジュニアタイトルをすべて制覇した。

ジュニア時代には、国際ジュニアランキング6位。 

1989年より日本代表となる。 

1990年の18歳児にプロ転向。 

1993年・1994年には全日本選手権を連覇。 

94年はテニスエルボーで試合ができずに、ひたすら走り、ウェイトでトレーニングしたという。 

現役を引退後はコーチ、スクール運営、ジュニア育成などにあたる。

伊藤竜馬、添田豪などのナショナルチームの指導も行っている。

スペイン武者修行時代

26歳のころまではアジア遠征でポイントを獲得し、翌年、そのポイントを守るために遠征するという繰り返しだった。そんな繰り返しに、意味が見いだせなくなったのが20代半ばから後半。  

その流れを変えるため、ヨーロッパ遠征に切り替える。しかし、結果は散々だった。 

それでも、スペインで練習することで、転機を迎えた。

スペインの練習は、球を打つ数が3倍、手にマメができ、よく走った。 

以前には海外の選手が、次に会う時に実力が伸びることに驚かされていた。 その理由は、練習量にあることに気付けた。 

27歳になった増田だったが、とにかく必死で練習をしたという。テニスコート上はもちろん、オフコートでもテニスに没頭する生活。順調なスペインでのトレーニングだっただが、あまりに練習で酷使しすぎた手首を故障し、手術を余儀なくされた。しかし、回復した増田は手ごたえをつかみ、理想としている「自分がボールを打つテニス」ができるようになっていた。

20代後半から初めて、スペインでのテニス武者修行。

「向上している間はやめられない」というテニス選手としての思いがあった。

このような経験をした増田は、「海外留学はスタートに過ぎない。そこで、全力を出すことで、やっと結果が出る」と語っている。

テニス選手名鑑 トップページ

錦織圭&テニス トップページ